看護師が退職を決めるときの判断基準

人間は選択肢が多すぎると決められなくなる。
例えば、転職や退職をしようと迷っている人。
なぜ迷うかといえば、判断する材料が多すぎるからです。
給料、休み、勤務時間、仕事内容、福利厚生、通勤時間、人間関係、やりがい、時期やタイミング・・・。
悩みや欲求が多すぎると、何を基準に決断すればいいのか分からなくなります。
そして結局何も決断できず、看護師人生の幕が下りるのです。

今回は、看護師向けの病院を辞める基準について書いてみたいと思います。

今の病院が楽しいか?

これが一番大事です。
楽しくないと感じていれば辞めたほうがいいです。
楽しくない人生に何の意味があるのか?
楽しくない病院は、精神を摩耗し、いずれ体まで摩耗していきます。
そもそも楽しくない病院を長く続けれるわけもないので、いずれ退職することになります。
そうであれば早いほうが良い。
転職は若ければ若いほうが良いし、わざわざ苦痛を味わう理由もありません。

今の病院で学べるか?

今の病院から学ぶべきことはありますか?
学ぶべきことが多い病院は、優秀な看護師や医師が多く、しかも彼女たちはとても勉強熱心です。
個のような環境であれば、おのずと勉強に身が入り、多くのことを学べるでしょう。
ただそうではない病院もあります。
向上心が無く、変化を望まない環境です。
そこで働く看護師たちは何の成長も無く、何の変化もなく過ごします。
この場合、あなたがどれだけやる気があったとしても成長するのは難しいでしょう。
その病院にとってやる気がある看護師は、変化を連れてくる厄介者なため、いずれ排除されるか、出る杭は打たれるでしょう。

5年勤めた病院を退職したときに後悔した6つのこと

新卒から5年勤めた病院を辞めた。
自分では「デキる看護師」のつもりでやってきたけど、どこか限界を感じたり、かなわないなぁって思える看護師がいたり。
だから最初は「あいつは伸びる!」なんて病棟で言われていたけど、結局は大した評価も得られなかった。

このまま平凡に看護師として生きていくのかなぁって思ったけど、同期が看護主任に抜擢され自分の惨めさに気が付いた。
このままじゃいけない。
そう思い転職した5年目の夏。

5年勤めた病院を退職したとき、私が後悔したことを書いてみます。
参考元記事

もっと病院に馴染めばよかった

自分は、求められる人物像というか、その病棟の雰囲気にワザと反するようなことをしていた。
自分は人とは違うって思いたかったのかもしれない。
プライドが高い自分の悪い癖でもある。
だけどこれは自分の首を絞めるだけの行為だった。
馴染めない人間を評価してくれる人はいないし、困ったときに助けてくれる人もいない。
私が病院を辞めることになった一番の理由は、馴染めなかったからだと思った。

職場の人達にもっと関心を持てばよかった

関心を持っていたのかもしれないけど、ワザと関心を持たないようにしていた。
病院に馴染めなかったのと同じ理由だと思う。
結局は自分が特別だと思いたかった。
だから私は関心を持たれる側で、関心を持つ側ではないと。
だけど関心を持たない人に、関心を持つ人なんていなかった。

調子に乗らなければよかった

看護師として働き始めてすぐのこと。
患者さんに投与するモルヒネのアンプル数がおかしいことに気が付いた。
調べてみるとそれは致死量に相当するあわや医療ミスという状況である。
先輩看護師たちが分からなかったのに、新人看護師が気が付いた!
そう言われて私は有頂天になる。
それからの5年間、私は何か失敗するたびに、当時のことを思い出し本当の自分は優秀なんだと思いあがった。
5年目の退職は、何の努力もせず、自分に才能があると思い込んだ看護師の末路でもある。

もっと勉強すればよかった

看護師の技術は、知識と経験が積み重なることで向上していく。
ただ私は知識を積み重ねることをしなかった。
だから私の看護技術は、新卒当時のままで止まっている。

同期の昇進を喜べばよかった

病院で唯一仲の良かった同期の看護師。
彼女が出世して主任になった時、私は醜くも嫉妬した。
人生の転機となる感情だったが、あとのとき同期の昇進を一緒に喜べなかったのを今でも後悔している。
仕事を失ったからじゃない、友達を失ったから。

もっと早く退職すればよかった

人間には2種類いる。
「自分の意志で頑張れる人間」と「環境によっては頑張れる人間」だ。
自分の意志で頑張れる人間は強い。
どこに行っても結果を出すし、圧倒的なまでのパフォーマンスを発揮する。
しかし残念なことに私は後者の環境によっては頑張れる人間だった。
だから転職して環境を変えることで、頑張れる人間になるかもしれない。
今の職場は、私に合った頑張れる環境だ。

脳外科に配属されたとある新人看護師の転職理由

転職した理由は何でしたか?

わたしは都内の総合病院で脳外科に勤務していました。
新卒で脳外科に配属されるのは珍しいそうですが、働いてみるとその理由がわかります。
脳外科はとても専門的な分野なため、看護学校で習っただけの知識では全く役に立たず、一人の看護師として業務ができるようになるまで、1年以上かかってしまうのです。
そのため脳外科に新人が入ろうものならあっという間に潰れてしまうため、新人ではなくベテランの看護師が配属されるそうです。
そして私も例外なく、潰れてしまいました。
毎日が未知の世界でヘトヘトになるまで働き、家に帰ってからも勉強しなければ付いていけないからです。
1年くらい頑張りましたが、ある夏の朝どうしても病院に行けなくなりそのまま退職することになりました。

病院側に転職するはどのように伝えましたか?

最初に病院を休むと電話した時に先輩に話しました。
そこで脳外科が難しすぎてついていけないこと、精神的に限界なことを伝えています。
それが師長さんに耳に届き、夜自宅に来てくださいました。
師長さんはまず謝ってくれました。
精神的に追い詰められていたのを感じていたけど、配慮が足りなかったと。
でもわたしもそんな周囲の気遣いを感じていましたが、逆に1年もたってまだ一人で仕事ができないことを申し訳なく思っていました。
お互いにごめんなさいをして、その場で1ヵ月の休職が決まりました。

診療科を転属できなかったのですか?

休職して1週間後、師長さんから連絡があり、内科病棟に転属になるかもしれないと話がありました。
ただ私は、それも申し訳ないと考え、退職したい旨を伝えています。
今思うと、「脳外科に付いていけなかった看護師」というレッテルを張られるのが嫌だったのかもしれません。
病院側の好意を自分のプライドで台無しにしてしまったことを今でも後悔しています。

転職活動はどうでしたか?

看護師の転職は、よく「資格があるから就職口なんてどこでもあるじゃないの」というイメージを持っている方々が多いかと思います。
しかし現実は、求人の数は確かに多いけど、それ以上に「職場環境」でなかなかマッチングするところが見つからないというのが私の経験です。
しかし、転職先でマッチングしないからと言って、転々と職場を変えていたら、自分の職歴もドンドン書き加わっていき、きっと綺麗な履歴書でなくなっていくと思います。
そのため給与条件だけでなく、その転職先の雰囲気、活動状況、将来性というなかなか表に出てこないところを十二分にリサーチすることが大切かと思いました。
そのため私は学生時代の仲間からだけではなく、病院へ出入りしている各種取引業者さんとも仲が良かったため、そこからも結構情報を仕入れていました。
友人・知人からの紹介「縁故」で転職してしまうと、何かあった時に紹介して下さった方にも迷惑がかかってしまうからです。

その後、無事に都内の総合病院の病棟で働けることになりました。

転職してどうでしたか?

お金も大切だけどやはり毎日仕事が楽しくなければ続かないと思います。
医療の現場はある程度は職員一人一人の「思いやり」で支えられていると思います。
いくら患者さまへの思いやりが強くても、職員間のコミュニケーションが無いのでは、とてもつまらない職場になってしまうと思います。
私は、今の職場は2か所目ですが、今のところ「転職」を考えるほど環境は悪くなっておりません。
報酬も前職場と比べてもそれほど大差がないのですが、コミュニケーションはばっちりです。

15年勤めた病院を辞めた、わたしの退職理由

なぜ転職しようと思ったのか?

わたしは総合病院に15年勤めていました。
経験年数と年齢が上がるにつれ、徐々に管理職や患者さんの生死にかかわる重要な仕事を任されるようになります。
責任も重くなり要求されるレベルも上がり、なんとかやっていこうと無理をしていたのですが、とうとう体を壊してしまいました。

病院側に退職理由をどのように伝えましたか?

看護師長にまずは「相談がある」と言って伝えました。
イキナリ辞めると言うと角が立つためです。
退職理由は正直に伝えました。
責任の重さに耐えられないこと、要求されるスキルが高すぎること、看護師から少し離れたいこと。

退職の引き留めはありましたか?

はい。ありました。
看護師長には、新人だった頃から10年以上面倒を見ていただいたので・・・。
最後は医院長も加わって「何とか続けられないかな?」と言われました。
ただ事情もわかっていただけたので、そこまで強くは引き留められませんでした。
わたしの意志が固かったのもあるかもしれません。
「そうか・・・。寂しくなるね・・・」と、看護師長から言われた時は、迷いがでましたけど・・・。

転職先はどのように見つけたのですか?

退職後、2年専業主婦をやっていたのですが、子供の大学進学も控えていたので就職先を探すことにしました。
もちろん今まで通り看護婦として働きたかったので、病院や医院の勤務先を希望しました。
ですが年齢が50歳を超えると、看護師でもなかなか思うようなところがありません。
体調も優れない日があったので、それを含めて雇って下さるところが見つからなかったのです。
あきらめて別の職種で就職しようか、でも、この年齢で新しいことに慣れていけるだろうか?そんなことを考えながら求人広告を見ていた時、ふと目に留まったのが看護師募集「時間や日時は応相談」という文字でした。

その看護師の求人は、どんな内容でしたか?

その求人は検診センターの派遣看護師でした。
検診車に付き添って採血やその他の検査をするという仕事です。
電話で問い合わせると各実施所に出向くので時間も場所もバラバラだし、作業チームも固定されていないとのこと。
わたしはすぐに応募しました。
閉塞感があり休みたいとは言いにくい病院ではなく、休みやすそうな環境だと思ったからです。
面接では私の体調が少し不安定であるので連続勤務はできれば避けたいと正直に話しました。
すると、検診は混み合う時期もあるけれど時期的なもの、毎日フルタイムで働かない現場だから大丈夫と説明を受けました。
その後、無事採用されることになります。

転職してどうでしたか?

採用された時にはほっとすると同時に、また看護婦の仕事を続けられることを嬉しく思いました。
それに交通機関での移動も気分転換になり、体調も安定し、家庭でも笑顔で過ごせるようになりました。
給料は時給制で1500円くらいです。
収入的には以前の総合病院に及びませんが、普通のアルバイトに比べたら全然高いので満足しています。
また派遣は正職とは違い、自分の体調にあった働き方ができるので良いお仕事を貰えたなと思っています。